「紀尾井町」の由来
明治5年、紀伊徳川家、尾張徳川家、井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になりました。
お不動さまについて、浅草寺の方から頂戴しました本より
引用させていただきます。
京戸慈光著『観音経物語』 内なる仏と出会う旅 321、322、323ページ
「浅草寺の本堂、正面に向かって右側に不動明王が安置されています。この<坐る禅>の姿を表しています。
そのお不動さまは、私たちの貪(むさぼ)りの火、いかりの火、愚(おろ)かさの火という三つの火(ぼんのう)を背中に背負い、一心にこらえています。恐い顔をしてがんばっているわけです。お不動さまは、左手に「クリカラ剣」という降魔・破邪の両刃の剣をもっています。内からわく悪魔・煩悩を切り、外からくる邪鬼・誘惑を切る両刃の剣をしっかりとにぎっています。右手には「ケイサク」という鎖を握っています。煩悩をしっかりしばりつけるのです。そして、堅固な岩の上にドッカと腰をすえています。金剛石にしっかりと坐っているのです、つまり、不動の岩、壊れることのない強い意志の上で坐禅をしているのです。不動とは「智慧」のことです。自分に正しい智慧(般若)があれば、多くの人からいろいろ言われても、フラフラすることなく、他人の言葉に惑わされずにすみます。大きな智慧、つまり動かざる真理・法則にかんがみて、自分の本心で考え、実行することです。そして、不動の精神を育むことです。
お不動さまの前で、「護摩」をするのは、まず、正しい智慧を持つために行うわけです。人には、「眼・耳・鼻・舌・身」の五つの感覚(五根)があります。眼でしっかりとお不動さまを観ます。お不動さまの智慧を直視します。金剛鈴をならし自分の耳に、しっかりとその美しい音、正しい音が聞こえるかたしかめます。焼香をたき、鼻がしっかりとその香をとらえているか、舌がしっかりと味をとらえているか、正しい言葉(真言)を発しているか、すべての感覚が全開しているか確かめます。そして、身によって正しい姿勢をとって坐っているか、確認します。からだ全体でお不動さまの智慧を受けとめます。それから「意」、つまり「こころ」で、お不動さまの智慧を一心に自分の中にすえます。
『般若心教』の中で、「無限耳鼻舌身意。無色声香味蝕法。・・・・・」と言っているのは、自分の愚かな、小さな五感・六感を力いっぱい開いて、その小ささを知って、大きな智慧と一体になることを説いているのです。護摩壇の前に『般若心教』が置かれているのは、そのことを意味しています。そして、大きな智慧と一体となるように、一つ一つの行をつむのが、護摩の修行なのです。」
「この人にすべてのよきことがなだれのごとく起きます」
日々出会う人に一日十人、心の中で念じるといいそうです。
ますおかはなえさん、さいとうひとりさんの『ハッピーラッキー』という著書に書かれていました。
この本を紹介してくださった方に感謝します。