Neo Universe Vision
(このサイトの2004年5月8日の記事を再度掲載いたします。)
わたしはよく「時間」という概念について考えるのですが、
「時間」の考え方を進化させるということについて考えてみました。
もともと「時間」というのは、
人間が便宜的に、状態を区別していったものだと思います。
10分前に起こったことも、10年前に起こったことも
区別するから、違うものになりますが、
これは、全て、「過去」という世界にまとめることができます。
1000年や10000年というと、相当昔のように考えるパラダイムをもっていますが、
この見方はどうもこれまでの科学に支配されすぎているように思います。
区別しなければ、1000年も10000年も「過去」のことですし、
さらに「過去」を「過去」として、「今」と違う状態として区別しなければ、
「過去」も「今」のこととなります。
線を引いて区別することは、人間の意識からそうさせているだけだと考えます。
たとえば、源頼朝がいたといわれる鎌倉時代についても、
線を引いたから、「今」と違うことになりますが、
線を引かなければ、これは、「今」まさに起こっていることです。
ちょっと不思議に思われるかもしれませんが、
今のわれわれの頭の中で、まさに起こっていることだと思います。
この地球上、あるいは、宇宙、あるいは、それ以上のもの全ては「時間」という
人間の意識を超えて、つながりあっているように思います。
「一即多」「多即一」という言葉がございますが、
これは、「時間」を超えた世界観を表現した言葉のように思えてなりません。
“今にすべてある”
「複雑系」という考え方は、物事を区別することよりも、
そこにある全てをみつめようとしている考えだと思います。
これまでの科学を支えてきた「時間」というものを
「複雑系」としてみるならば、
「時間」は、状態変化を表すだけで、
区別できない大きな1つのまとまりでしかない
といえると思います。
区別できない1つのまとまりの中に
いままでわれわれが歴史として習ってきた
常識的な事柄が全て、「生の状態」で含まれているのではないかと考えます。
新たな世界観とは、
いまに、歴史全てが生の状態で含まれている。
その感覚です。
いまに歴史全てが含まれているとするならば、
いまの状態は、一体何を表しているのかという問いが起こりますが、
すべてのものがそのすべてをあらわすためには、
同じものは1つとしてないという状態ではないでしょうか。
同じものは、ないから、区別できる。
しかし区別するがわは、同じものでできている。
「時間」も1つ1つは、区別できますが、
実は、全て同じ土台では、ないでしょうか。
これまで、決意を表すという意味でよく表現されてきた
「今しかない」という感覚、
この言葉は、進化すると思います。
その進化とは、一瞬に全て含まれるという
これからの新たな世界観を意味するものです。
私は、この新たな世界観を
“Neo Universe Vision”(ネオ・ユニバース・ビジョン)と呼ぶことにしました。
勉強不足でございますので、既にこのようなことを
いっている方が多数いるかもれません。
「時間」について考えたことを記してみました。
この感覚を大事にしたいと思います。